ERETICI -中-冷え始めた空気が肌に心地よい。やはり、九月とはいえこの街は暑かった。それを示すように、街を行く人は皆、羽織るために持ってきた上着を着るか、肌寒さを抑える為に体を抱え、帰宅の途についている。夕暮れも近い。日はもはや盛大に篝火を焚きながら、果てに沈もうとしていた。 「・・・・・・疲れた。もう駄目。」 「四度目。とりあえずもう少しだから我慢しろ。」 それら街の風景とは遠く、人も通らぬ道ならぬ道を歩く二つの影。 いや、正確には『城壁に作られた隠し通路』だろうか。今は使い方を忘れ去られ、知るものは皆土となったそれはしかし、未だしっかりとそこに存在していた。 「この階段昇ればあるから、辛抱してくれ。」 「えー・・・疲れた疲れた疲れた・・・ねえ、おぶってくれない?」 上目遣いに頼むカレン。 「・・・俺が階段で後ろ向きに転ぶから絶対に嫌だ。ってかそこに恥じらいは無いのか?」 「だって疲れたんだもの・・・転んで落ちても死ぬのは私だし、カルロにとっては役得のはずなんだけれど・・・かよわい乙女と密着できる機会よ?」 「それが乙女のセリ――いやすまん、頼むからその俺を追尾したりビヨーンと伸びたりした後捕まえて、後超科学的な波動で溶かしてくれそうな右手を引っ込めてくれないか?」 ガシーン、とカレンの脇の空間に収まるおっそろしい兵器。あんなもんに捕まれたら、かのリヒトホーフェン・サーカスも一撃で壊滅だっただろう・・・いや、もしかしたら7.7mm機銃より圧倒的に強いんじゃなかろうか。 「とにかく、だ。これは通過儀礼だと思ってくれよ。素晴らしい世界ってのはしかるべき試練の後に訪れるもんだぜ。」 「・・・・・・むぅ。分かったわよ・・・・・・」 頬をむくれさせるカレン。一応コイツも疲れてはいるのだろう。 「だーいじょうぶだって。俺が後ろから落っこちないように付いていってやるから。」 「・・・べ、別にそんなもの・・・」 「いいから。有事の際には気をつけましょう、だぞ。」 「はいはい・・・じゃあよろしく頼むわよ。」 渋々、といった感じで階段を昇り始める少女の背中は、落ちつつある橙の火も相まってか、どことなく寂しそうに見えた。 「・・・・・・。」 綺麗、という言葉すら出ないのであろうその少女は、城壁の頂上に当たる部分へ顔を出した瞬間、ピクリとも動かなくなってしまった。 「・・・生きてるか?」 「――ぁ、ごめん。」 声を掛けることで始めて存在を再認識したのか、数段下にいるカルロを見たカレンは、慌てて外へと出る。カルロも、それにゆっくりと続いた。 夕焼けに照らされるナプレの街。夕焼けに輝く海には、漁から帰港する漁船が橙の動くアクセサリーとなって、この景色の美しさを際立たせている。 堕ちゆく最後の足掻きとばかりに炎を輝かせる陽を飲み込み、その輝きを全体から発するヴェスビーオ。通りが、路地が、王宮が、ガッレリオが、人々の帰るべき処である数々の家が、それらの輝きに飲み込まれ、また輝く。 この街が、美しき炎に包まれる瞬間だった。 「・・・・・・いつまでもここにいちゃマズい。一応ここも海軍省の基地だからな。一応、ここの連中にはある程度顔は利くけど、お偉いさんとかカラビニエリに見つかったら、それこそサン・ジョルジョ級の主砲が飛んでくる。」 暗くなり始めた空が、そろそろ明かり番の兵が昇ってくることを示していた。その兵にはお偉いさんや警察(カラビニエリ)が随行することもあると話には聞いている・・・そんな話をしながら、カルロはカレンを連れて階段を下りていた。 「軍人に顔が利くって・・・」 「とはいっても下っ端のヤツらだけどな。大概雑用かなんかをやらされてるんだよ、そういうのは。街で知り合ったりなんだりして、今でもこうやって世話になってるんだが・・・」 外気は冷たく、昼間とは比較にならないほどに本能的危険を感じさせる。 そんな空気に急かされるようにして、二人は海に突き出た城を後にした。 「なあ。」 昇り始めた月に照らされる海と、心地よい潮風。そんな素敵なシチュエーションにおいて、一日共に行動した男から掛けられる言葉―― その言葉に期待してしまうのは、やはりオンナノコだからだろうか。 「・・・・・・な、なによ。」 軽く思案をめぐらせ、一つの答えに辿り着いたのか。軽く頬を染め、カレンが問い返してくる。 (・・・で、その例に漏れないオンナノコがいるわけか。) その答え、大間違いなんだけどな・・・とカルロは心の中でこっそりと呟き、 (・・・ここは身の安全の為にも一応正解とされる答えを言っておくべきかいやしかしそれは後々面倒だよし決めた後悔しないぜ反応なんて手に取るようにわかるけどええい言っちまえ!) 大きく深呼吸するうちに覚悟を決めた後、襲い来るであろう攻撃に向けて防御体制を取り―― 「・・・・・・まだ夕食には早い時間だが・・・どうする?」 言った。 「――は?」 妥当な反応だ、とカルロは思う。 変に間違われそうなシチュエーションで、深呼吸をしてまで間をおいてから言った言葉が『夕飯どうするよ?』だ。これは妥当過ぎる反応だろう・・・いや、むしろこれ以外の反応をされたらむしろこっちが焦る。で、ついでにセオリー通りに来る攻撃ももちろん予測済みなわけで。 恥ずかしさと怒りからか、トマト屋が見たら褒めるぐらい赤くなる顔。 「あんたは、あんただけは・・・!」 来た――タイミングを測り、足を引き半身になって完璧に回避。 「ナプレっ子は伊達じゃないぃィィイィイ痛い痛い痛い!」 したかに見えた高速の右手の貫手は、いつの間にかカルロの頭部をガシッと捕み、断続的なダメージを与えていた。 バシバシバシバシバシ、なんて効果音がついてきそうな痛みと、腕の向こうにある半端ないプレッシャーによる二重の攻撃。 「ぎ、ギブギブ!マジ死んじゃうって!数値にしたら2000ぐらいのダメージだから、いや本当にィ!」 「・・・・・・。」 無言のまま獲物を下に落とすカレン。 ゼーハー、ゼーハー。 波の音に、男の喘ぎ声と悶絶する姿がある・・・が、喘ぎは喘ぎでも苦悶の喘ぎであり、悶絶は痛みによるものだ。ましてやそれをしているのが男なのだから、その光景は扇情的というよりはむしろ・・・ 「・・・気持ち悪い。」 クルリ、と踵を返すと街の灯に向かって歩いてゆくカレン。 「ちょ!俺を置いていくなって!」 イタタ、と立ち上がるカルロは、こちらを振り返りもせずズンズンと進む少女を追いかけて行った。 「で、だ。」 数年前から普及し始めた、白熱電球に照らされる街路と人。 「・・・・・・。」 その、『雑然ととりあえず並べた人間展覧会』の中を、その中では珍しい黒髪の少女と、イタリア人の少年が歩いていた。 「夕飯をどうしたいかなんだが・・・・・・なあ、いい加減機嫌直そうぜ?」 「・・・・・・イヤ。」 ツーン、と跳ね除けるカレン。そうとうトサカに来ているらしいが、残念ながら理由が分からない。 「そんなこと言わないでくれよ、頼むから・・・ってかさ。俺がお前がピザくれなかったせいで昼抜きなのは知ってるだろ?」 それを聞いたカレンは、うぐ・・・と言葉に詰まった後、 「あら?殿方のご飯は朝と夕方だけなんじゃなくて?」 ととぼけた顔で聞いてきた。 「お前・・・それはどこの少林寺の話だ。ここは地獄でも仏さんの世界でもクンフーを鍛える場所でも無いんだぜ?」 「・・・・・・百年ぐらい前の日本の話なんだけれど。」 「なにィ・・・」 思わず絶句してしまう。昼抜きが日常の生活なぞ想像できるはずも無い。なるほど、サムライスピリットというのはこういう風にして形成されるのか・・・ 「この前の大戦で日本が勝利した理由が分かったぜ・・・」 全てはブシドーにあり。そうやって自分を追い込むことによって強さを得ていたのだろう。 (ま、俺にゃ無理な話だけどな・・・それよか) 「で、要するに飯なんだが。」 カレンはなにやら難しい表情で地面を睨んでいたが、やがて何かを諦めるように言った。 「いいわよいいわよ、勝手にしてちょうだい・・・」 「・・・以外な反応だな。てっきり無反応かと・・・」 「下手な優男の演技されても変な気分なだけだから。それより、ちゃんとした夕飯じゃないと許さないわよ。」 「うげぇ・・・」 ・・・この娘、こっちの懐事情を知ってこういったことを言っているのか。だったら物凄くたちが悪いぞ・・・ 「無理、なんて言わせないからね。」 「・・・ちくしょう・・・」 なんたる日だ、おお神様。ネミの宿木信仰で成り行き上殺される森の王ってのはこんな気持ちだったんだろうか。 曰く、避けられぬ厄災。 曰く、必然の損失。 陰鬱な気分を引きずりながら明るい街を歩く・・・その対比に、思わず失笑をこらえられぬカルロを、カレンは変なものを見るような目で見ていた。 イタリア人は大食漢だ。朝のメニューからすればその片鱗も見られないが、夕食の量が半端ではない。まずバールで食前酒(アペリティーボ)を飲みつつ大量のつまみを食べ、それから食事をしに行くのがこの国の外食のスタイルである。 もちろんながらカルロだってそれぐらいは食べられるだろうし・・・むしろ、この国の住民にとってそれは日常であり、普通のことだ。 ・・・が、どうにもこの隣を歩く少女は、つまみさえも入りそうにないであろう身体の大きさだった。 幸いにもこの街には、リストランテ・バールなる食事に重点を置いたバールがある。言わばレストランと居酒屋の中間点のようなものだろうか。 せいぜいカレンが食べられるのは一、二品だけだろうし、顔が利く店ならば多少予算がオーバーしてもツケられる。 ならば『善は急げ』というモノだ。 「よし、行くぞ。」 「え、あ、え――?」 目的地を定めたカルロは、己の飢えを満たすべく、結構な速度で動き出した。 引きずるように、だがしっかりと、少女の手を掴んで。 目の前に広がるのは惨劇だ。 そう、まさしくそれは惨劇だろう。 これを惨劇を呼ばずとしてなんと呼べるだろうか。 イスキア島のヴィーノ数本、レモン酒の入っていたコップ、フォカッチャ、カゾンチェッリ、仔牛のマッシュルームソース、ミネストローネ、サラダ、バジルソールのラザニア、バジルソールの白身魚ソテー、などなど。増え続ける皿はあたかも自分を攻撃するようにフォーメーションを広げ、比較的大きなテーブルの上を埋め尽くす。十分に食べたはずの自分の食事の量がまるで馬鹿みたいに少なく見えた。 カウンターの向こうのアンディに視線を送ると、ヤツは苦笑いをして親指を立ててきた・・・支払いはしっかり頼むぜ。 (事の元凶とも呼べる人間の癖に・・・!) 惨劇の発端は、俺たちの席に注文を取りに来たのがアンディだったということだろうか。むしろそれ以前に、顔が利く店に入ったことが原因が。 「あ、店員さーん、ミネストローネおかわり~」 ボリ、と野菜スティックをかじり、安物のシャンパンをちびちび飲む。目の前の惨劇に対抗するには、これしかなかった。 ・・・オーダーの際に『本日のオススメ』を聞くのは当然だ。勝手の知らない店の場合、大概ならそうするだろうし、ましてやメニューの文字が読めないなら、マニュアル化された・・・要は観光ガイトに載ってるような質疑と、その応答に対する応答をしなくてはマトモな料理一つ頼めない。だが・・・こいつだけは違った。オススメを聞かせてはいけない、むしろメニューを見せてはいけない人間。 オリーブの酢漬けを味わいながらゆっくりと食べる。こんなことになるとは、席についたときは思いもしなかったのだが・・・ カランカラン、とドアについた鐘が来客を告げる。 それなりに明るい、多くもなく少なくもなく、ちょうどいいぐらいの客入りの店内。カウンターの向こうにはワインが並び、厨房からは景気のいい音と食欲を掻き立てられるいい匂いがする。 ちょうどドアの近くにいた店員が、愛想のいい笑顔をこちらに向けて、 「いらっしゃー・・・」 挨拶の言葉をその空間に残して肉薄。 「いッ!」 ヒュン、ガシッ。 神速で首に伸びる手を超反応で掴み取る。 「よう?お前、やっぱり喧嘩売りに来たんだよな?」 「・・・どこで飯食おうといいじゃねえかよ・・・!」 ピキピキ、と崩壊する音が聞こえるような笑顔で、両者ともに組み合った手に力を入れる。 「お前一人なら問題は無いが、オプション付きなら話は別・・・いや違う、お前はむしろオプションで、メインはこっちの娘さんだ! ということでオプションは去れ!昔から主人公の恋路を妨げる友人は身を引くって相場が決まってるんだよ・・・!」 「どう考えてもお前は・・・」 脇役だろ、といいかけて言葉に詰まる。主人公が恋をしてる設定ならば、コイツが主人公であることを否定したときに主人公とされるべき人間は・・・ 「クッ・・・」 「どうした?俺が何だっていうんだ?」 嫌ぁな目でコチラを見てくるアンディ。額から汗をにじませながらも、ニタリと笑ってこちらを見ている。 「なんだよ・・・その不敵なまなざしの理由は?」 「聞きたいのか?本当に聞きたい?」 「いや・・・聞かなくていい、やはりすぐに殺すことにした!」 「ぬおぉ!?」 悪党を成敗しようと一気に力を入れる。 「だが貴様に殺せるかな・・・この俺おぐふゥァ!?」 負けじと押し返そうとしたアンディが、急に真横に吹っ飛び、少し離れた壁にぶつかって倒れた。視線を目の前に戻したカルロの目の前には、綺麗に直線に伸びた足と、小さな靴がある。 「漫才はそこらへんにして、さっさと席に案内してくれない?」 裾をいくつか折り返した凶器(スラックス)を元に戻して腕を組むあくまが、フラフラと立ち上がろうとする憐れなサンドバッグに対して、冷ややかな目をして命令した。 「・・・いや、うん。とりあえず席に着こう。この店、空いてる席なら自由に座っていいところだから・・・」 「あ、そうなの?それを早く言ってくればいいのに。」 と、壁の方を見るカレン。その目はどうでもいいものを見るのかのように冷ややかだった。・・・どうやら、アンディは思いっきりタイプの人間とは正反対だったようだ。それともサクっと蹴り飛ばされたアイツの弱さが気に入らないのだろうか。 とりあえずも席に着くと、よろよろとアンディがオーダーを取りに来る。 マスターが兼調理人だと、フロアにいるのはアンディ一人のみとなるのだろう・・・ではこいつのバイトが無い場合、この店はどうやって営業しているのだろうか。 「ご、ご注文は・・・」 ふと疑問を抱きつつも、とりあえず注文を言う。 「俺はシャンパンとオリーブの酢漬け、あとトマトのパスタな。」 「分かった・・・ってかいつものじゃないか。ええっと、お嬢さんは?」 ・・・呼び方まで変わっている。どうやら、さっきの一撃がそうとう効いたようだ。 (まあ、壁まで吹っ飛んだしな・・・) 多少リアクションは入っているだろうが・・・それにしても痛そうだった。アンディのズボンを見ると、右大腿部横にくっきりと靴跡が残っていた。 コイツ、急所にモロにくらった割にはピンピンしているな・・・とカルロがぼんやりとアンディを眺めていると、突然脛を何かが殴打した。 「いっつ!何だよ?」 「メニューが読めないの。」 「「・・・は?」」 二人の声が綺麗にかぶった。何をおっしゃるんですかこの娘は。 ――と、脛にもう一度強烈な痛み。隣を見ると、アンディの鳩尾に、綺麗に拳が突き刺さっていた。 「だ、か、ら、メニューが読めないの。私、イタリア語は話せても読めないから。」 ・・・なんつーけったいなやっちゃ、などと言えば今度は足が折れるからやめるが、変な話ではある。貧しい家の子供じゃあるまいし。 「・・・じゃああれだ、俺と同じものにするか?」 「あ、あなたと同じもの?それはイヤよ・・・」 「・・・なんでだよ。美味しいぞ?」 いや、実際美味しいし、さほどクセのある味でもないのだが。むしろ、ここまで簡単に否定されると、自身のプライドというものが傷つく。 「なんだか貧相じゃない。」 グサッ。今のはジャストミートだ。致命打とも言うかもしれない。戦艦で言えば機銃と主砲をピンポイントに壊された感じだ。反撃しようとしてもできず、乗員は自爆を選ぶか投降するしかない。 「ちなみに、本日のオススメは仔牛のマッシュルームソース――」 高価・・・というよりもカルロの懐にとっては高価な値段の料理を次々とあげていくアンディ(くそったれ)。コイツは絶対に俺を破産させるつもりらしい。 「――となっておりますが。」 華麗に締めくくるアンディ。 うーん、と悩みこむカレンに、何か危険なものを感じてカルロは制止をかけた。 「ちょ、ちょっと待て。ブルスケッタとかも結構いけるぜ?」 ブルスケッタとはパンの上にハムを載せたお手軽料理だ。つまみとしてもよく知られるそれは、当然の如く安い。 「・・・・・・美味しいの?」 「も、もちろんだ!」 胸を張るカルロに、 「酒があればな。ちなみに本日のヴィーノ(ワイン)はイスキア島産のいいものが・・・」 アンディが嫌ぁな商業用スマイルを顔に貼り付けて最後のカードを切る。アンディの首を片手で締め上げながら、カルロは必死に安いメニューへと導びこうと誘導した。 「レモン酒。むしろそれにしてくれないと困る・・・」 「それも美味しいの?」 「・・・甘いものが好きなら口に合うんじゃないか?」 あまり食事時に飲むものではないが、この際安く済むなら問題は無い。 再び悩みこむカレン。 (頼むから安いものにしてくれ・・・) アンディの口は封じてあるからこれ以上の危険なカードは増えないが、それでもオススメ品を二枚切られたら、確実にこれからの食事が貧しくなることは請け合いだ。 「んー・・・じゃあ、」 カレンが、カルロに吊られたアンディの方へ向く。 「さっき言ったの全部おねがい。」 時が、止まった。 いや、誇張表現ではない。店内は水を打ったように静かになり、その中で響くのは、落とされたアンディが咳き込む音ぐらいだ。 「いや・・・落ち着け。頼むから正気になってくれ。」 「正気よ。それとも何、十分に食べさせるっていうのはウソ?」 ・・・・・・待て。 「ガハ、ガハッ・・・お前、結構金があったんだな・・・」 待て、待て。 「いや、偉いぞ坊主!」 「女の為に散財するたぁ、見上げた野郎だ!俺なんかにゃできねえぜ・・・聞いてくれよ、この前よぉ―― 「最近の若者は財布の紐が固くてなぁ・・・この前なんて―― 「うんうん、正しい金の使い道だ。やはり女の子には気前良く奢らなきゃ!」 カルロは一気に青ざめた。 払える金など・・・実はツケれば無くは無いが・・・それでも三ヶ月は我慢せねばならない。無論却下したいが・・・・・・ (この状況じゃあなあ・・・) 周囲はカルロが奢ることを前提にして話を盛り上げている。ここで断固拒否などしたら、その瞬間周囲が冷めるのは見え見えだ。 カレンはニコニコとあくまの笑いを浮かべてこちらを見ている。 ポン、と目の前に出てくる妙な選択肢。 1、 支払う 2、 ツケといて支払う 3、 とりあえず体で支払う 待て待て待て。支払わなくちゃいけないのか、これは・・・・・・! クッ、背水の陣ってこういうことを指すのか、頭いいなぁ昔の人は・・・じゃない、とりあえずここは考えなくては! (どうする・・・ってまあ) カルロの思考は三秒で終わった。 まあ要するにだ、こうするしか他にしようが無いわけで。 両手を上げて完全降伏を示し、アンディに向かって最強の注文をする。 「分かった・・・・・・それで頼む。」 その瞬間、カレンの笑顔が本物になり。 (ずいぶんと高い笑顔だな、おい・・・) カルロは半端ではない倦怠感に包まれ、どっかりと腰を下ろした。 で、この状況だ。 ちなみに現在カレンは、ミネストローネの三杯目を飲み干し、パスタを追加で頼んだところである。 もはや食べる気を無くし店内をぼんやりと眺めていると、フロアの端のほうにいたアンディと目が合う。やつは手招きをして、俺を呼んでいた。 「ちょっと悪いな。」 と、聞いているのかどうかすら怪しいカレンに席を立つことを断ると、カルロは立ち上がってアンディの所へと移動した。 「なあ、あの娘人間か?」 「・・・多分。地球の食生活には適応してないっぽいが、一応人間の形はしてる。」 そろそろ店内の客は身内で盛り上がり、相手をするのがウェイターではなくマスターになってくる時間帯だ。そのせいか、アンディは別段気にする風でもなくカルロと話している・・・もちろん小声でだが。 「・・・で?お前、ずばり払えるのか?」 「最初のオーダーだけだったらなんとか・・・」 「・・・・・・。」 いや、そこで黙り込まれても困る。 困るというか、超困る。 「そこで黙るな。何か嫌なものを感じちまうだろ。」 「いや、おう。・・・一応ツケで何とかならないか聞いてみるが・・・ある程度はやっぱり払ってもらうことにはなる。」 「ある程度っていうか・・・」 全額巻き上げられるのは目に見えている。 ・・・明日からどーしよーかなー・・・などと考えていると、カレンがこっちの方をチラチラ見ているのが目に入った。 「・・・探してる・・・ってかあれはそうだな、とっとと来ないとひき肉にするぞ、って目だ。」 「オーケー・・・じゃあ明日、精肉店で会おうか。」 そういってアンディから離れると、こちらを首だけで振り返るカレンに声をかける。 「どうした、満足か?」 カレンはミネストローネを未だに食べているようだ。恐らく、そろそろ容量に限界が来たのだろう・・・いや、来た。来させる。これ以上追加注文なぞされたら、恐らく今日はこの店から帰れないだろう。 「・・・・・・ぁ、カルロ。」 ぼんやりとした口調でにへら~と笑うあくま。このときばかりは天使に見えるものだが、目の前の皿・・・片付けても片付けても増え続ける皿を見ればただの天使ではないことが一目瞭然だろう。堕ちた熾天使といったところか。 とにかく、その少女は、食べかけのミネストローネにスプーンを突っ込んだまま、こちらをぼんやりと見ていた。 「あんね、あんね、これ美味しいよ。食べる~?」 ・・・おい、何かが違うぞ。 顔は笑っているが赤い。テーブルの上を見ると、非常に多くの瓶が空になって放置してあった。 「それ食べ終わったら帰るぞ。」 『ほにゃ』だか『うにゃ』だか、とにかくあいまいな返事をするカレン。 (こりゃあ明日の朝が辛いだろうなあ・・・) そう思いつつ、カルロは伝票を持って、法廷に出る罪人のような足取りでマスターの待つレジへと向かうのだった。 「ぐ・・・コイツ・・・」 帰り道。完全に闇に飲まれた街路を動く、大きな一つの影。 「なんて重さしてやがる・・・」 カルロは、カレンをおぶって、我が家へと向かっていた。 実際そこまで重さがあるわけではないだろうが、問題はそこではない。そこまで重さは無くとも、やはりそれは『重い』のだ。ましてやあれだけの・・・見た目だけなら体の体積以上食べてるんじゃないかというほどの量の飯を食べた後だ。そりゃ重い。 その、とてつもない重圧をかけていたモノが、モゾモゾと動いた。 「・・・ん。ここは・・・」 「起きたか・・・じゃあ、とりあえず大人しくしててくれ。これ以上動かれると落とす。」 「・・・・・・うん。」 寝起きだからだろうか。どうも反応が鈍い。 しばらく歩いているうちに、だいぶマシな状態になったようだ。カレンは自分から話しかけてきた。 「・・・頭、痛い。ねえ、下ろしてくれない?一人でも大丈夫だから・・・」 「無理。」 「なんでよ・・・」 「今お前を下ろしたら、今度は頑張って歩かせなくちゃいけないだろ。だったらまだ、こうやって背負ってる方がマシだからな。」 「そんなに重くないわよ・・・いいからほら、さっさと下ろしなさいって。」 モゾモゾ。結構激しく動いてくれるものだから、バランスが取れなくなる。 「ああ、もう、動くな!転んでお前が痛いのは構わないけど、俺が痛い思いをするのは勘弁してくれ・・・」 「・・・・・・むぅ。」 人一人を背負うのと、下から支えて歩くことのどちらが容易いかと問われれば、間違いなく前者だ。多少の下心なども無きにしも非ずだが・・・まあ、このバストじゃあちょっと・・・いや嫌いではないが。 「ふぐゥ・・・」 刹那、首筋に容赦ないチョップ。 「今、いかがわしいこと考えてたでしょ。」 「お前・・・俺が気絶したらどうするつもりだったんだ・・・」 「え?もちろん放置するけど?」 ・・・即答ですか、そうですか。 一抹の空しさを感じつつ、カルロは歩きつづけた・・・背中の酔っ払いに負担をかけない程度に、ゆっくりと。 そしてこうも思う。今、この光景を見る人がいるならば。 自分たちはどう映るか、と・・・ (ま、仲のいい兄妹と見えて欲しいけどな) 何しろ自分は『 』ではないのだから。彼女に踏み入ることは許されないし、それこそ彼女のためだろう。 ・・・やがて、家が見えてきた。ポストの中を覗き込み、カルロは中にあった手紙や新聞を取り出し、家の中に入る。 酔っ払いをベッドに寝かせたカルロは、簡単にシャワーを浴びて、ソファーに沈み込む。 (結局、聞かなかった・・・か) 彼女に踏み入るべきでは無い。それは自分が決めたルールでもあるし、彼女もそれを望んでいない節があるだろう。 (もし後ろを見るなら、もう戻っては来ない何かを思い出してしまうだろう。 もし先を見るなら、決して訪れる来ることがない何かについて考えてしまうだろう。目を閉じるのだ。嘆かずに後ろへ戻り、微笑んで先を見る強さを持てたその時に、再び目を開けろ。) 親父の言葉が蘇る。そう、まだ俺には強さが足りない。守れる力が無い。 明日には全てが整うだろう・・・彼女も、俺も。 楽しい一日(ごっこあそび)の、終わりだった。 「おはよう・・・・・・」 いかにも気だるそうな声が階上から降ってくる。頭を抑えたカレンが、階段を使って降りてきた。 「おう・・・大丈夫か?」 「駄目。無理。天と地が逆さまになって三回転半した感じ。要するにグルグルフラフラ?」 「いや、そこ疑問形で来られてもな・・・」 カルロの愚痴には答えず、カレンはうーんと唸ると、ソファーの上に伸びてしまう。食堂の椅子の上で新聞を読んでいたカルロは、「あ、盗られた・・・」などといいながら、立ち上がった。 「おう、じゃあ俺はこれからちょっと用事で出るから、机の上の飯を適当に食べて朝食にして、適当なもんつかって昼食を作ってくれ。料理の本はそこらへんにあるし、なんとかなるだろ、多分。」 「え、ちょ、待って――!?」 バタン。 驚きと静止の声をあげ、カレンがソファーから立ち上がった時にはもう、カルロは玄関の外へ出てしまっていた。追いかけたいがこの体調では流石に不可能だ。 「何よ、もう・・・」 拗ねたように呟いてから、カレンは机の上にある朝食を見ようとして、床に落ちている白い何かに気がついた。 「手紙・・・?」 拾い上げたそれは、白い封筒。白く四角い、何の特徴も無いごくごく平凡なその封筒の中からは、綺麗に折り畳まれた普通の紙を確認できた。差出人にはアルウェン=ファルネーゼとある。 カレンは手紙を読むべきか、それとも放置すべきか悩み・・・ (・・・ま、まあ、何も言わずに放置して行っちゃったんだからいいわよね・・・) 封筒から手紙を取り出し、読み始めた。 DEAR カルロ 調子はどうだろうか。新しい街にはもう慣れたか? 金は十分にあるだろうか。必要ならばいつでも言ってくれ。 ところで、今日はお前に剣を授けたことを伝えておこう。その剣をなぎ払うもよし、突くのもよし、もしくは鞘に収めて重圧を掛けるもよしだが、とりあえずは受け取りに行ってくれることを望む。 では、お前の身に大事無きことを。 お前の親父より 「お父様からのお手紙・・・ね。」 その剣というものが気になるが、それは本人が帰ってきたときに分かるだろう。重圧になるというのだから、それは形をもった大きなものに違いないし、知られて困るものでもないだろう・・・現にこうやって放置されていたわけだし。 それよりもお腹が減った。まだ頭は多少フラフラするが、これぐらいなら大丈夫だ。一年ほど前、お父様宛に届いた日本酒を一気飲みしたときのほうが酷かった。 今日の朝食は、クッキーとクロワッサン、それに鍋一杯のミネストローネらしい。 (まったく、いい人なんだから・・・) 「わ・・・わわ、何を思ってるんだろ私・・・」 ふと浮かんだ気持ちを抑えるため、カレンは朝食に専念し始めた。 コンコン、と木の扉をノックすると、 「合言葉は?」 という高い声が返ってきた。 「・・・アルウェンお父様、最高・・・」 (うぅえ、吐き気がする・・・) カルロは不快感を隠さない顔で、内側に開いたドアを抜け、その部屋に入る。 開放された窓からは美しい日差しと、それに輝く海が見え、時折ふく海からの風がカーテンを動かしていた。 (ったく、置いてあるもんも底抜けに明るいけどな・・・) S&W、H&K、COLT、Beretta、Spring Field・・・世界中にあふれる銃器が、コピーオリジナルを区別され、壁際の棚にまるで書類でも置くように整然と並べてあった。その部屋の中心には、明るい色の木で作られた大きな机と黒い良質の革製の社長椅子が置いてあり、その大きな社長椅子の上に、この部屋とは不釣合いな、小さな少女が座っている。 日に輝く金色の髪を持つ少女は、その小さな手をせわしなく動かし、無骨な黒い、物騒なブツを組み立てていた。 「・・・マリー?」 そう声をかけると、マリーと呼ばれたその少女は、初めてこちらに気がついたように顔を上げる。その顔には満面の笑顔が浮かんでいた。 「カルロお兄ちゃん!いつからここにいたの?」 ・・・いや、さっきからなんだが、どうにもフェデロフやらブローニングやらを机の上に置いて、とんでもなく物騒なものを組み上げているお嬢さんには話しかけ辛い・・・ (なんて言ったら、今度から俺が訪問する予定が立つたびにコイツは銃いじりをせずに待ってるんだろうな・・・) それだけは避けたいことだ。マリーの趣味は銃器いじりであり、彼女が誇れること・・・と彼女自身がそう認識していることもまた、銃器の扱いである。 「お話はお父様から聞いているけれど・・・ちょっと待ってね。今M1903の装填数を増やせないかいじってるの。」 見た目相応の幼く高い声が伝えるのは、しかし年齢とは不釣合いすぎる物騒なお話。カルロは、おとなしく後ろからその様子を眺めることにした。 ・・・三十分程経っただろうか。 「終わったーっ!」 底抜けに物騒な部屋に、底抜けに明るい声が響いた。 「どうした?どんだけ改良できたんだ?」 「んっとね、装填数増やすのは無理そうだったから、とりあえず単射での威力を上げることにしたの。30cmの石灰積みのレンガの壁を、180メートルのところから集中発射三発ぐらいで壊せるぐらいにはなったはずだよ。」 ・・・確か、平均的なその設定では五発以上必要だったはずだ。単純に威力が二倍になったのか・・・一体何をした、このお嬢ちゃんは。 「それでね、照準器をもっと使いやすいものに――」 「オーケー分かった、分かったから落ち着け。」 多分語らせたら一日中話し続けているであろうマリーを、頭を撫でることで黙らせる。別にそういう方面の知識も無くはないし、興味だってあるから聞いていても構わないのだが、今はそういった場合ではない。 「むぅ・・・分かった、お兄ちゃんにはお仕事があるもんね。」 「すまんな・・・またいつか聞いてやるから、今は親父の言ってた剣を渡してくれ。」 「はーい。」 と、何やら机の引き出しを漁り始めるマリー。鮮やかな菓子の包み紙の中に、弾薬やら弾帯やらがゴロゴロと転がっている。 (・・・混沌としてるな・・・) と、目的のものをマリーは見つけたらしい。大きな引き出しから、大きな箱を取り出してきた。 「よいしょ・・・っと。」 その箱を開けると、中には一丁の拳銃。 「自動拳銃(オートマチック)か・・・あんまりよくは知らないからな・・・」 自動拳銃は比較的最近開発された拳銃だ。従来のリボルバーとは違い、劇鉄を起こして弾を装填するというプロセスが簡略化されている。確かに便利かもしれないが、カルロは使い慣れたリボルバーの方が好きだった。 「うん、コルトのM1911に、ちょっと手を加えたものだよ。多少命中精度は上がってるし、ハンマーバイトも起こらないようにグリップセーフティを付けてもらったものなんだ。」 「そいつぁ・・・」 凄さが分からん。 「オートマなら別にグリセンティでもベレッタでも良かったんじゃないか?」 「うーん・・・あそこらへんのは私的に嫌いなんだよね。それに両方とも性能が悪いし。」 「そ、そうか・・・。」 ダメだ、会話の内容が微妙に理解できない。それに困っていると、マリーが変な目でこっちを見ていた。 「・・・お兄ちゃん?」 「お、おう、どうした?」 「・・・いや、うん・・・これが剣、なんだけど。」 「ああ、そうか・・・悪い。」 銃を受け取り、持ってきた鞄に入れる。 「・・・毎度言うけど、どうかと思うよその入れ方。ねえ、ほら、これ・・・」 マリーが差し出してきたのは、ウエストポーチ状のホルスター。 「お兄ちゃんのために作ったようなものだから、持って行って。」 「おう、ありがとな。」 銃を入れ、腰につけると流石に重い。が、それは心地よい重さだった。 「ねえ、抜いてみれば?」 「そうだな・・・」 確かに、それは重要だ。すぐに出せなければ意味が無い。 足を肩幅に開き、深呼吸。すぐさま左手でポーチを開ける/右手で掴む/胸の前に両手で持ってきて、所謂正眼の構えというものを取る。 両手には慣れ親しんだ重さ。 「・・・やっぱり俺は、コレ無しじゃ生きられないみたいだ。」 丁寧にホルスターに拳銃を戻すと、マリーが紙を渡してきた。 「これ・・・今回の任務の内容だって。」 内容を一瞥すると、カルロは盛大に頭を捻った。 「・・・・・・なんだ、こりゃあ?」 同時刻―― そう、お腹が減った。ここ最近、自分の食事の消費の量が半端ではないと感じていたが、そんなことはどうでもいい。とにかく現在重要なのは自分がとてつもなく腹が減っているということだ。 カレンはその、猛烈に空いて空いて仕方が無い腹を押さえながら、壮絶に悩んでいた。確かにカルロは出かける際、『おう、じゃあ俺はこれからちょっと用事で出るから、机の上の飯を適当に食べて朝食にして、適当なもんつかって昼食を作ってくれ。料理の本はそこらへんにあるし、なんとかなるだろ、多分。』と言っていた気がする。女なら料理ぐらいできるだろうと踏んでの発言だろう。 ・・・だが、女は料理ができるというのは一般概念であり、全ての女性に適応されるものではない。少なくとも、柳払花蓮にとって料理とはヘラクレスの選択に等しかった。 「うーん・・・・・・」 だが腹は減っているのだ・・・しかも強烈に。ならば、料理を自分で作るか、それとも作れる人間を探してくるかしかあるまい。お金はあいにくと持っていないし、カルロもお金を残してはいかなかったようだ。 「あ、そういえば・・・」 カルロは料理ができるはずだ。でなければこんなに沢山の料理本を持っているはずがないし、食材だって買う必要も無い。 ・・・体調もだいぶマシになってきた。剣の受け渡し場所がどこだかは分からないが、あのカルロの友人らしき少年に聞けば分かるだろう。 「よーし・・・」 簡単にシャワーを浴び、カルロの服に着替える。 (カルロ、カルロ・・・って) 自分がこれまで個人に執着したことがあっただろうか。 これが恋というものかもしれない・・・そう思うと、二日酔いの気分の悪さも一気に吹っ飛ぶような気がした。 ファシズム―― それは、大戦後におけるイタリアで、資本主義体制崩壊の危機や国内政治の流動化、貧富の差の広がり・・・などなどの状況下で、共産主義の代わりとなるものが必要であると声高に叫ぶ社会主義者にあった考えである。 経済の変動による影響を大きく受ける労働者階級や貧困層などを対象としたその考えは、外国企業の徹底排除や産業の国営化などによる国家統制をとり、国内経済の安定をはかるとしたものだった。 その先頭に立つムッソリーニは、反社会主義運動者として大戦後の社会主義運動の高揚に危機感を感じ、自らが大戦前に参加していた『革命的参戦運動ファッショ』や『国際主義参戦ファッショ』を土台とした『戦闘者ファッショ』を組織。社会党や共産党と対立し、武力によって労働運動を鎮圧し、政権を奪おうと画策していた。 「・・・んで、そのムッソリーノだかムッツリだか知らないが、そいつがこの街に来る、と。」 「正確にはこの街じゃなくて、労働運動を鎮圧するための兵器を手に入れるために、ね。」 「・・・・・・で?その兵器の名前がこれだってか?」 カルロはもう一度、その紙に書いてある内容を読み返した。 『任務の内容:保護及び護衛 任務の対象:カレン=ヤナギハラ 対象の特徴:長く美しい黒髪、日本人的な美少女、私の好み 任務の備考:美少女とウハウハ。なお、ナプレの街には他の部隊も配置してある。魔術回線はルビーの42212397。』 ・・・親父の好みとかウハウハなどはとにかく、こりゃあ・・・ 「シャレにならねぇ・・・マジかよ。」 「・・・ってことはお兄ちゃんも、この名前は知ってるんだね?」 「知ってる。嫌っつーほど知ってる。・・・カレンは人間じゃなかったのか。」 ・・・にしては、動きが普通の女の子っぽすぎる。 すると、マリーは否定するように首を振った。 「・・・人間じゃない?ううん、この娘は人間だよ、お兄ちゃん。」 「はぁ!?どういうことだよ・・・」 マリーの予想外の発言に、思わず素っ頓狂な声を上げるカルロ。何しろ、『ファルネーゼ・ファミリー』が出動するような護衛任務の対象として、さらには相手方に兵器として欲されているモノだ。人間である可能性のほうが少ない上に、相手はただの少女だ。化け物じゃなかったら何であろうか。 「正確には元は普通の人間だったモノ・・・かな。どうやら普通の女の子だったみたいなんだけどね・・・」 「悪魔憑き・・・か?」 悪魔憑き。簡単に言えば、それは憑依された人間だ。邪魔者を呪いと圧倒的な破壊力で消し、或いは利用する。その力は様々であるが、大概にしてその憑依は罪による断罪ではなく、むしろ神による試練とされる。 ・・・が、厄介なことには変わりがない。とにかく、その悪魔憑きの周りではバタバタと人が死んでいくし、あげくの果てには村を丸ごと消滅させてくれたケースまであった。 何件か処理を任されたものもあったが、あまり気持ちのよいものではない。厳密にはまだ人間と呼べるようなやつらもいるし、手遅れになる前に救える奴だっている・・・が、大概にしてそいつらは・・・ ――祓魔師様、何故私をお助けになったのですか・・・・・・ ――俺は、悪魔じゃなくてアンタが憎い! 今でもはっきりと聞こえる怨念。理不尽とも取れるその責め苦に、しかしカルロは何も言えなかった。周囲の人間は消え去り、もしくは自らの手で滅ぼし、最愛の者を己の血肉とされてしまった彼ら。・・・できれば、もうあんな思いはしたくないものなのだが。 だが、マリーはそれにも首を横に振った。 「ううん、違う・・・むしろもっと性質が悪いの。 ・・・彼女、特異能力付の潜在型よ。」 「・・・・・・マジ、かよ。」 潜在型。それは魔術を行使する魔術師における区分の一つだ。 魔術師は主に、神学哲学文化人類学考古学を修め、大奥義書やらグリモワールやらを熟読し、果てには工学生理学地球物理学精神医療を趣味と嗜み、世界を飛びまわって文献を漁って成る『一般型』魔術師と、元より能力が潜在しており、それが何かの拍子に目覚めてしまった・・・もしくは目覚めた『潜在型』魔術師に大きく二分されている。もちろんその二つの中で、錬金術師やら呪術師やらに分類されていくわけであるが・・・ 残念というか摂理というのか。やはり能力的に見て圧倒的に有利なのは潜在型なのである。文献などの文章で理解する一般型より、直感で理解することができる潜在型の方が何かと有利なのだろう。さて、それはまあ・・・世界レベルで見れば頻繁に起きている事例であるし、何しろ潜在型だけならばそこまでの脅威とはなり得ない。問題となるのは特異能力だ。 特異能力とはその名の通り、特異な能力である。 それは例えば、火事現場で焼かれても平気な耐熱性であったり、生身の高高度飛行にも耐えうる身体だったり、並外れた記憶力だったりと様々であるが・・・恐ろしいのは、一様にして『治癒能力が高過ぎる』ということだった。 その瞬間における身体の状態での生存能力に長けていて、さらにその状態からベストの状態へと身体を変化させる能力とでもいおうか。その上に人間では不可能なことを生身でできる力がついてくるのだからとんでもない。 冗談じゃないぜ、とばかりに天井を仰ぐカルロに、マリーは追い討ちとばかりに事実を繋ぐ。 「ちなみに本人に自覚無し。能力の発動は日本で一回。その時に・・・・・・」 「・・・そいつぁ、なんつーか・・・」 「酷い・・・ううん、違うか。哀れ・・・っていうのかな。」 「・・・・・・ま、細かいあちらさんの事情はどうでもいいんだ。で?カレンの能力ってのは何なんだ?」 マリーは、顔を一旦伏せ・・・憐憫の目を何処(いづこ)かのカレンに向けて、言った。 「・・・『聖化』だよ、お兄ちゃん。」 「まさか。聖化だって・・・?」 聖、それは原罪を背負いし人間が開発した魔術に対する聖なる力、神や天使が使うと言われ、またはそれらの力を借りて行使する術のことを言う。もちろんながらその力は神々にしか使用できず、一般の司教ならば、せいぜい下等天使の聖術を出力半分程で行使するぐらいしかできないだろう。 だが、聖化した人間は別だ。『聖化』とはすなわち、神や天使の座に就くことである。本来ならば生まれながらにして罪を背負う人間には不可能とされる聖化である・・・が、もしも聖化した人間がいるとしたら、その人間の扱う聖術は、それこそ街を一つ容易く破壊し、魂の行く末を捻じ曲げることすら可能となる程強力だと言われている。もし本当ならば・・・ また、本人の自覚が無いということは、すなわちいつ発動するか分からないということである。思わず跡形残さず消える瞬間のことを思い身を震わせたカルロは、 「うん・・・と、いうことで。」 ドシン、と腰にぶつかってきた重い衝撃によって現実に戻された。 「身体には気をつけること。いーですね?」 腰に巻きついた状態から、こちらを心配そうに見つめるマリー。 そんなマリーに対し、カルロは軽く笑って敬礼した。 「了解(ヤー)。カトリック教会異端審問部、特殊戦闘部隊所属第一級祓魔師(ふつまし)カルロ=ファルネーゼ、これより任務に入ります。」 マリーも満面の笑顔で敬礼を返す。 「行ってらっしゃい、お兄ちゃん!」 腰に命の重さを下げ、手には己の役目を持って。 カルロは、海沿いの教会を後にした。 |